こんな私でも楽しく生きてます。~マイプロフィール

こんにちは、こんばんは。
Shuka(@shuka_051615)です。

 

突然ですが、私は家族や友人などのリアルな知り合いからこう思われています。

・大人しい
・静か
・自分の意見を言わない
・いつも聞き役

全部当たってます。でも。
そうしたくてしているわけじゃないんです。

言いたいことは大体はSNSに呟いてますけども(笑)
家族や友人には言えずにずっとだまっていることがたくさんあります。

でも、これからこのブログを続けていくうえで、読んでくれるみなさんには知ってほしい。

そう思ったので今回は、自己紹介でもないですがプロフィール的なものを書いてみました。

だいぶ長くなるかも。というかショートムービーくらいになるかも。
そして多分、「こんなに苦労してる人がいるから頑張ろう」って気持ちになるはず(笑)

ただ、重い内容から始まるので閲覧注意です。
目次だけ見てもドスンと来そうな感じですが(;^_^A

 

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トラウマを抱えた学生時代

 

3人きょうだいの真ん中に生まれた私。
上とは4歳、下とは11歳離れています。
ちなみに今はアラフォーとだけ言っておきます。

小さなころから大人しい、全く手のかからない子とずっと言われてきました。
言いたいことがあってもなかなか言えなかった。
だから大人しいと思われていたのかな?

幼稚園のころまでは特に何も問題なく過ごしていました。
というより、厳密に言うとあまり記憶がありません。

そして、私がトラウマを抱えるようになったのは小学校1年生の時。
人前で話すことがとても苦痛になる出来事がありました。


 

私の父は当時とても厳しく、すぐ怒鳴る。
子供だった私にとっては怖いお父さんでした。
今はだいぶ温厚になり、穏やかな父です。

手がかからなかった(言いたいことが言えなかった)私は、父に怒られたことはこの事件まではほとんどありませんでした。

父の前で教科書を読む。
ただそれだけのことだったのですが、そのときの態度が気に入らなかったようで。
私のことをひどく怒鳴りつけ、反省させるために私を押し入れへ閉じ込めました。

このことがきっかけでトラウマとなり、そしてこのトラウマと闘う日々が始まったのです。

でもずっとトラウマだと思っていたことが、そうじゃないかもしれないと気付いたのは、本当につい最近のことです。

このことについて、詳しくはこちらに書いています。併せて読んでいただければ嬉しいです。↓

トラウマからくるあがり症なのか。それとも場面緘黙症?

2017.02.22

 

両親の離婚と再婚、そして極限の貧乏生活

私が小学生になるころの我が家は、どちらかというと裕福な方でした。
当時はお小遣いで毎月5,000円もらっていたことも。

ところが父が転職してからというもの、収入はガタ落ち。
そこで母が働くようになりました。

それからの両親はいつもケンカばかり。
お皿やハサミが飛んできたことも・・・今となっては笑い話で済んでいますが(笑)

ある時から、父は家へ帰ってこなくなりました。
そして母は昼も夜も働くようになり、姉と私は朝まで2人で留守番。

これは大人になってから聞いたことですが、そのとき両親は1度離婚していたそうで。
結構な衝撃でした。


 

やがてまた父が少しずつ家に帰るようになり、仲を取り戻し、弟が誕生しました。
再婚したということになります。

子供だった私には「わーい弟ができた!」という気持ちしかなかったけど、今思えばたぶん仲直りしたからこそ弟が出来たんですよね(笑)

家族も増えたころ、父の仕事がうまくいっておらずさらに収入も減り。
母も弟が生まれたことで働けず、我が家は極貧生活を送るハメに。

本当に極限までお金がなくなり、冷蔵庫にも食べ物がなく・・・。
その時に食べた、白飯にかつおぶしだけという極貧夕ご飯がいまだに忘れられません。
猫まんまかって!

そこから少しずつ生活も良くなり、裕福とは言えませんがなんとか人並みに暮らせるまでに戻りました。
そして高校受験して、高校生活が始まります。

 

高校生で運命の出会い。そして抱えた一生の傷

 

大学へ行くつもりはありませんでした。
やりたいことはあったけど、お金がかかることだったので親にも言えず。

自分の気持ちにウソをつき・・将来の就職のために商業高校に入学。
「高校生になったらお小遣いのためにバイトする!」と決めていたので、3年間でいくつかアルバイトをしています。
結構いろんなのやったなぁ。

詳しくはこちらに書いています。↓


 

高校2年生の冬、私はバイト先で運命の出会いをします。
それが今の夫です。一目ぼれってやつです。

でも実際には、夫と付き合い始めたのは社会人になってから。
私の猛アタックが功を奏しました(笑)

付き合って半年、ラブラブだったころ。
私の人生最大の事件が起こりました。

それは・・・妊娠です。

19歳だった私。
就職して半年・・・しかも就職先が破たんして、合併企業に再就職したころでした。

まさに人生どん底。

私は産みたいと思っていました。でも周りはもちろん反対で。
一人で産んで育てよう。そう思いました。

 

でも・・・結果的には出来ませんでした。
何もかもが未熟でした。

このことは一生の心の傷であり、一生罪を償う気持ちで生きています。

絶対に忘れません。

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23歳で結婚・出産。そこから始まる転勤の日々

 

その後もズルズルと、夫とお付き合いをしていました。
付き合いも4年が過ぎ、そろそろ結婚しようという話になったとき、私が妊娠していることが判明。

どんだけだらしないんだよ!というツッコミはいりません(笑)
いわゆるデキ婚でした。そして娘が誕生します。

夫の仕事は転勤が多く、結婚してから今現在まで7回の引っ越しをしています。ちなみに今は単身赴任。
手当はもらえるものの、満足なものではなく。
しかも貯金もないまま結婚してしまったので、まさに引っ越し貧乏でした。

「生活を楽にしたい」と私は働こうと思い、娘がまだ小さいころからパートを始めました。
通勤に1時間以上もかかる仕事が続けられたのも、恐らく若かったから・・・今だったら絶対ムリ!

そして転勤を機に、私は専業主婦になりました。


 

娘と四六時中一緒に過ごす日々。
毎日公園に行き、遊んで・・・とても楽しかったけど、それは今思えば現実逃避だったのかも。

働きたいと思っていたけど、次の転勤時期が半年後とすでに決まっていて。
当時は今のようにクラウドソーシングなんて無かったから仕事はなかなか見つからない。

仮にパートはあっても田舎だったから、子供を預けるところも見つからず。
家計はカツカツ。

第二のどん底がもうそこまで来ていました。

 

人生2度目のどん底と息子の誕生

 

また引っ越しし、娘が卒園して小学生になったころ。
娘に「きょうだいが欲しい」と言われました。

社宅に住んでいた私の周りはみんな子だくさんで、3人なんてザラ。
一人っ子だった娘はきっと、うらやましく思えたんだと思います。

娘の気持ちに答えたいと思っていたころ、私は3度目の妊娠。
家族3人で大喜び!!

ところが、2回目の健診のときほどなくして、その小さな命はなくなっていました。
流産してしまいました。

ちょうど冬休みが始まった、クリスマスの日に手術をしてお別れをしました。

ショックで落ち込んでいた私は、ふとこう思いました。
「これはきっと、最初に妊娠したときに殺してしまった罰なんだ」と。

しばらく立ち直れずにいましたが、なんとか元気を取り戻して1年後に息子を妊娠。
娘に約7歳差のきょうだいができました。

家族が増え、仲良く楽しく過ごす。
でも私は、息子の子育てをしながらずっと何かが引っかかっていました。

 

息子が発達障害とわかってからの私、そして心の暴走

 

娘8歳、息子2歳のころにまた引っ越し。
そこはとっても田舎で、私にとっては未知の世界でした。

知り合いのいない孤独。多忙で頼れない夫。
人付き合いが苦手な私はどんどんストレスが溜まっていきました。

息子の発達が気になりつつ受けた3歳児健診で、医師からこう言われました。
「この子はおかしい」と。
おかしいと言われたことがショックで、その先生のことは今でもずっと忘れられません。

それから半年後にようやく病院の予約が取れ、息子が発達障害だとわかりました。
ストレスが蓄積されていき自暴自棄になり、精神的に追い込まれていました。

なんとかやりすごしていましたが、当時のことを思い出すのはちょっと辛いです。

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自宅で働くことを選択したきっかけ

 

悶々とした田舎生活を2年したあと、また引っ越し。
息子も幼稚園に入園し、やっと自分の時間ができるようになりました。

そこで私はまた働き始めることを決心。
ところが、息子の通院や療育などで働ける時間は限られていて。

出来れば家にいて欲しいと思っている夫を何とか説得し、しぶしぶ了承はしてもらえました。
でも、「特に息子の子育てに影響する働き方はして欲しくない」と言われ。

当時の私は夫に従順だったので(今だったら絶対逆らうw)、どうにかして自宅で働く方法を模索していました。

ちょうどその時、クラウドソーシングが出始めのころで。
在宅ワーク=単純作業の内職と考えていた私は衝撃でした。

「これだ!!」と。

そして私は、ライターという職業に出会いました。

もともと書くことが好きだった私は、「やってみよう!」とフリーランスとして在宅ワークすることを決意。
私がライターになったのは、このときからです。


最初に受けた仕事は、1文字=0.3円ほど。
今思えばホントに酷すぎる単価(笑)
それでもとにかく何かやらなくちゃと、半年ほど続けました。

だんだん慣れてきて搾取されていると気づき、違うライター仕事に変えて。
色々掛け持ちで請け負っていくうち、クライアントからも信頼いただけるようになり・・・単価も少しずつ上がり。

しばらく続けていましたが、実績が残らないことに不満があり、掛け持ちは1つ減らしました。
なので今は以前より少し収入が減っていますが、ちびちび頑張っています。

また、今年から娘が上京したので生活的にはあまり変わっていません。
今現在、私と息子以外は別々に暮らす3重生活を送っています(笑)

私が仕事に区切りをつけた理由~ライターとしてこの先も続けるために

2017.04.25

 

私の考え方を大きく変えたTwitter

 

ライターを続けながら、なんとなくブログも書いていたけど。
ようやく私も流行りに乗り(笑)、Twitterをやるようになりました。
これはもう、ホントに1年くらい前と最近の話で。

そこで「Twitterってこんなに面白いんだ!」と憑りつかれたようにハマり。
特に子供のことで共通点の多い友だちがSNS上にできました。

交流していくなかで、楽しいことはもちろん辛いことや悲しいことなど、本当にたくさんの色んな情報や悩みを共有するようになって。
私は自分の考えが間違っていることに気がつきました。

ずっと当たり前だと思ってきたことがどんどん疑問になり、「このままでいいのか?」と。

夫がこんなに転勤させられて、毎日タダ残業して、少ない給料をもらって。
ブラック過ぎるだろ!ということに気づき。

さらにはずっと疑問に思いつつ、「それが学校だから仕方ないのか」と思っていた学校教育。
「おかしいと思いながらも、このまま声を上げずに黙っていていいのだろうか?」と。

私の感情は爆発しました(笑)
そして今、このブログができています。

こんな一つのブログで変えられるわけがない。
そう思うかもしれないけど。

 

人に伝える・知ってもらうことの大切さ。

 

今までなんとなく書いてきたブログ。
このブログがもっとたくさんの人に広まれば、何か変わるかもしれない。

そう思いながら、書いています。かなり雑多なブログになっていますが。

どうして雑記ブログにしたのかはここにも書いていますが、雑記にすることで知らない人に知ってほしいという思いがあります。

例えばスイーツ好きな人が学校の現状を知るきっかけになったり、逆に学校に疑問を持ちながら、また社会の不寛容さでモヤモヤしている人が面白いと思ってくれたり。

そういうことが起きるんじゃないかなと、ただ漠然とそう思って運営しています。

とにかくどこかに届いてほしいと思いながら。
私には、やりたいことがたくさんあるから。

 

無名の逆襲との出会い

 

つい最近になりますが、私はあるブロガーさんを知りました。
あずさん(@yuuki_azusa)です。

そして、そのあずさんが無名のブロガーを募り「無名の逆襲」というグループを作っていることを知りました。

集え!仲間がほしい初心者ブロガーよ!〜無名の逆襲〜

 

この記事を読んで、私は「入りたい」と純粋に思ったので、興奮しながらDM。

快くグループに入れて下さいました。本当に感謝です。
ここで色々勉強して吸収し、もっとたくさんの人に読まれるブログを目指していきたいと思います。

※「無名の逆襲」のサイトをあずさんが作って下さいました!
色々な記事を書いているメンバーのブログに飛べるので、ぜひご覧ください。(私もいます)

無名の逆襲

 

いつか通信教育ができる学校を作りたい!!

 

今後の私の目標は、こんな感じです。

・ライター・ブロガーという仕事で、食べていけるようになる
→ブラック企業で搾取され続けている夫に、辞めて転職する勇気を持ってほしい。気づいてほしい。
子供の成長に関われる環境にしてあげたい。

・娘の夢を全力で応援する
→お金はかかることだけど、子供には遠慮してほしくない。足りない分は自分が頑張る。

・息子のように障害などで生きづらさを抱える人が、生きやすい社会にする
→すごく難しいことだけど、一人一人が声を上げれば変わるかもしれない。

・いつまでも古い学校教育を変える
→これは一番の難関かも。不登校が増えている理由の一つに、学校教育そのものが大きく関係していると思っているので、ブログなどを通して訴えていきたい。

・義務教育でも通信教育ができるようにしたい
→学校教育が変えられない、変わらないのなら、様々な理由で学校へ行くのが辛い子供たちが平等に学べるように、私立でもいいから通信制の小中学校を作りたい。
ただここは、法律や制度、資金的な問題、自分の知識と教養、資格などの問題がある。まずは学校教育についてがっつり勉強する。(私の理想はN高みたいなの)

 

多分最後の2つは、「ムリだろ、ムリ」って思われるかもしれない。
でも、未来の日本を支えていくのは今の子供たちだし。

その子供たちが、学校が辛いって思うのはやっぱり大人や学校、社会のせいだし。
特に義務教育では、平等に学ぶということができていない。

でも、実際には学校教育を変えようと活発に動いて下さっている先生もいます。

「夏休みの宿題はいらない」 公立小学校の現役校長が変えたい“昭和的な”教育

この先生のような考えが、多くの教育現場に広まって欲しいです。
これ読んで、「そうそうそうそう!!!!」と思わず言ってしまいました(笑)

私も保護者の1人として、学校教育のおかしなところが変わるように訴えていきたいです。

 

まとめ

ここまで6,000文字以上(笑)・・・良く読んで下さいました。

小さなころから色々経験している私ですが、ポジティブでも浮き沈みが激しいし泣き虫だし、足りないところがたくさんあります。

更年期だからイライラするし、愚痴も多いし、夫とケンカばかりするし。
また最初に書いてあるように、自分自身も生きづらさを抱えています。

でも、行動せず考えているだけでは何も変わりません。

人生は1度きりだから楽しく過ごす。
その大前提には子供たちがいます。自分の子供に限らず。
笑顔をたくさん増やしたい。

先に死ぬのは自分。でも次の時代を担うのは子供。
だから今の子供が大人になったときに「いい社会だね」と思えるようにしたい!

それが私の、一番の夢です。

こんな長い文章、最後まで読んで下さりありがとうございました。
今後とも、Shukanoteをよろしくお願いいたします!!

Shuka(@shuka_051615)

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