参観日と個人懇談~学校が辛さを学ぶ場所にはしたくない

先週、息子の参観日のあとに個人懇談がありました。

まず参観日。
音楽の授業で、一人一人発表をするというものでした。

息子はリコーダーを発表。
人前で何かをすることにどうしても緊張してしまうから、かなり力が入っていたけど・・・どうにか頑張っていました。

目をつぶっていたのはきっと、注目されているのを感じないようにしていたんだと思う。

 

 

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練習ではきちんとできる息子は、本番とか人に披露する機会になるとどうしてもうまくできません。

うまくいくときもあるけど、ムリしている感じが見ただけでわかる。
それは視線の刺激や注目されることが辛いことだからなんだと思っています。

 

このへんは私もそうで・・・「人に見られている」「今自分が注目されている」と思うと本領を発揮できず。
緊張してしまい声が上手く出せなくなったりします。

※息子と私は場面緘黙症ではないかと思っています。
また後日詳しく書きますね。

これは人との距離が近いほど強く出るような気がしていて・・・。
参観日の最初にみんなで歌を歌った時も、保護者との距離が近すぎて。

「あー近すぎだなぁ」なんて思っていたら、案の定息子はちゃんと歌えず。
わざと低い声で歌ってみたり、苦しそうにしていたり。

 

難しいなぁ。
だってこんな風にしていても怒られない、受け止めてもらえるのは支援学級だからで。

普通学級だったら「ふざけてる」って思われて、「協調性がない」と言われるだろうから。

 

私も気がつくまでは、「なんでいつも本番になるとふざけるんだろう」って思ってた。
「ちゃんとできるはずなのに」って。

 

でも、息子なりに辛さをカバーするにはそういう行動をとるしか方法がないんだ、ふざけたくてふざけてるんじゃないんだとわかったとき、「なんでできないの?」と思っていた自分にすごく腹が立った。

 

本当は、辛くて辛くて発狂したいくらいなんだと。
でも正直、息子のことは理解しているつもりでも「ちゃんとできたら良いな」と思ってしまう。

 

「ちゃんとできなくても良いよ」って言っているくせに。
この矛盾が本当に腹立つ。


微笑んで見ている裏側では、「頼むからちゃんとやってくれ」と思っている自分がいる・・・。


自分の子供に対してこう思ってしまうのは、親だからなのか。
だってほかの子が同じようにしていても、そんな気持ちは浮かんでこないから。

 

自己嫌悪に陥りつつも、どうしてあげることが正解なのかいまだにわからずにいます。


 

個人懇談では、色々なことを先生と話しました。
夏休みの宿題も・・・先生が色々工夫して下さっていることはすごくわかりました。
ただ、やっぱり多いよなぁ。
自分が小学生のころなんて、こんなに宿題無かった。

 

子供の夏休みは、いつからこうなってしまったんだろう・・・。
いっぱい遊んで楽しもうなんて夏休みは、なくなってしまったのでしょうか。

 

おまけに、理科と社会も出した方が良いか聞かれた。
息子の負担になるのでと断ったけど(笑)

 

確かに、毎日勉強する習慣を身に付ける事は大切かもしれない。
でもね、子供のうちから勉強のせいで自由がなくて、いったいいつ自由になれるんだろう。

宿題を考える先生も大変だけど、それを毎日毎日やる子供だって大変だよ。


 

 

また、勉強のことでひとつ気になっていて。
夏休みの宿題でもたくさん出たけど・・・勉強が身に付いているのかどうか。

その時は覚えていても、ふとしたときに振り返るとやっぱり忘れている。

 

夏休み前までやっていた漢字テストも、前日に同じ問題を宿題で出されて・・・。
結局わからず教えてあげたり、教科書で一緒に調べたり。
身に付いているという感覚にはなっていなくて。

 

前日にやったから翌日に出来る。
誰だって忘れてしまうことはあるけど、定着には至っていないんじゃないかと思っています。

このやり方で良いのかなぁ・・・。


 

 

ずっと気になっていたプールのことも、先生に提案してみました。

息子は鼻や耳に水が入りそうな感じがとても苦手です。
だからプール学習のとき、潜るのは耳下まで。
鼻はふさげば顔もつけられるし、耳下までは潜れる。

幸い水がすごく好きで、プールも好き。
でも耳がネックになっていて・・・毎年潜れずに終わってしまいます。

ついこの間、初めて全身潜ることができたと聞き、「もしかして克服できた?」と思いました。
息子に「すごいね!」って言ったら、あまり嬉しそうじゃなくて曇った顔・・・「本当はイヤだったの?」って聞いたら「うん」と。


息子は嬉しいとき、本当にニコニコします。だから良くわかる。

水が好きなのに、本当は潜りたいのに。
耳の感覚のせいで潜れないのはすごくもったいないなと思って。

耳栓をしたら、気にせずに潜れるんじゃないかと思ったので、先生に「プール学習で耳栓を使っても良いか」と聞いてみました。

最初は「あーなるほど!」って言ってくれたけど、「正直耳栓が必要とまではいかないかなぁー完全に潜るとか、そこまでできなくても大丈夫です」って。

そして、「耳栓を使っていって、いずれ無くても潜れるようにするなら良いかもしれないけど、ずっと耳栓を使うのはどうかなぁー」と。

どうしてだろう、それがあればもっと子供が楽になるのに、取り入れようとしてくれない。
水筒の時もそうだった・・・。
楽することは許されない、ほかの子と違うことは認めてくれない。

 

水筒だって、プールの時の耳栓だって、息子のように支援学級の子供に限らず取り入れてくれても良いと思うのに。

 

学校の水道が苦手な子供だっているし、水分摂るのを忘れてしまう子供もいる。
息子と同じように耳に水が入りそうな感覚が苦手な子だっているはずなのに。

新しいものを取り入れようとすると、「みんな同じ条件じゃないと」って。
子供それぞれ性格も違えば苦手も違うのに、同じ勉強法、同じ方法だなんて。
やっぱりおかしい。

耳栓の件は、「検討します」と言われたものの・・・「今年はあと1回ですからねぇ」なんて。ほぼ流されたようなもんだな。

どうしてだろう、わかってくれているようで、わかってくれていない。
かみ合わない。
楽をしたっていいじゃないか、それで出来なかったことが出来るようになるなら。
それじゃダメなのはなんで??

たくさん先生と話したけど、最後はやっぱりモヤモヤして帰ってきました。
信頼し合うって、すごく難しい。

 

明日からやっと夏休み。
ゆっくりのんびり、楽しい思い出を作れたら良いなと思います!

 

ABOUTこの記事をかいた人

Webライター兼ブロガー。 上京して頑張る娘と発達障害の息子を育てるアラフォー。 学校が辛い子供たちのために、通信制の小中学校を作るのが夢です。学校教育や社会の「当たり前」にモノ申す。たまに趣味のことも書いています。

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