辛さを口に出さないときこそ子供は辛く思っているのかも

自分への戒めも込めて。

 

「辛くても我慢しろ」
「辛くても口に出すな、辛いのはみんな同じだ」
自分が学生だったころに部活の顧問や先生など、大人たちに良く言われていたことです。

 

そして、これは今でも教育現場ではよく言う言葉。
息子も同じように言われています。
「みんなも頑張っているから、息子くんも頑張ろうね」と。

 

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学校という集団は、協調性が第一に考えられてしまう。
「みんなに合わせて、みんなと一緒に」が大前提。
だから合わせられない、一緒にすることが出来ない子供たちは学校からすると「困った子」。

 

「困った子」じゃなくて「困っている子」なのに。
大人の都合ですり替えられている。

 

Twitterを見ていると、子供たちに寄り添って考えて下さっている先生方がたくさんいます。
でも現実的にはまだまだ少なく・・・。

実際に自分の子供が通う学校に目をやると、愕然として「これが学校か」と全てを諦めそうになってしまう。

 

そして自分にも言えることなのだけど、子供が「辛い」と口に出さないと、どうしても良い方向にとらえてしまうことがあります。
「今は落ち着いているから大丈夫だ」と。

 

この「辛い」という言葉すら、口にできない子供たちも多くいます。

 

学校はどうしても、問題行動を起こしたり目立つ子に対して目が行きがちで、俗に言う「おとなしい」「穏やか」「トラブルを起こさない」子供は「手がかからない良い子」として見られてしまいます。
「声を上げないから大丈夫」だと思っているからでしょう。

 

私が子育てをしていて思っているのは、「声を上げない子供こそ、目を配らなければならない」ということ。
私の子供たちは、どちらも「おとなしく穏やかで、問題行動を起こさない子供」です。

でもこれは結局、私も含めて大人たちが都合の良いように解釈しているだけなんだと。
本当は「おとなしく穏やかで、問題行動を起こさない子供」なのではなく、「辛くても苦しくても、声を上げることができない子供」なんです。

 

そして、声を上げたときや身体症状に現れたときは、極限まで我慢して、辛くて苦しんでいるのです。

 

普段辛さを口に出さない子供が口に出したとき、「困っているからどうしよう」ではなくて「困ったなぁどうしよう」と考えてしまう。
自分の子供たちが穏やかであればあるほど、弱音を吐かないほど、気にかけてあげる必要があるのに。

 

結局は子供のためではなく、自分の気持ちが先に立ってしまう。
何度も同じような状況に立っているはずなのに、子供が穏やかでいるとついそこに甘えてしまう、忘れてしまう自分がいます。

 


ここのところ、穏やかだった息子が癇癪を起こしたり、ネガティブな発言を繰り返すようになり、私はハッと我に返りました。
「ずっと、本当はずっと辛かったんだ。我慢していたんだ。」と。

 

毎日学校へ行くことを当たり前だと感じて、油断していました。
そして、都合の良いように解釈して。
楽な方に、楽な方にと・・・。

 

「辛さを口にしないから大丈夫」ではなく、口にしないときこそ「大丈夫?」と声をかけることが大事なんだ。
表に現れたときは相当に我慢しているんだと今、自分に言い聞かせています。

 

「もうすぐ夏休みだから頑張れ」ではなく、「もうすぐ夏休みだね、でもムリしなくていいよ」と言える母親になりたいです。
そして、「手のかからない子供」こそ苦しい思いをしているかもしれないと、学校の先生方が気づいてくれるように・・・。

 

学校教育の当たり前を、いつか変えたい。

 


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ABOUTこの記事をかいた人

Webライター兼ブロガー。 上京して頑張る娘と発達障害の息子を育てるアラフォー。 学校が辛い子供たちのために、通信制の小中学校を作るのが夢です。学校教育や社会の「当たり前」にモノ申す。たまに趣味のことも書いています。

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