子供が不登校になりかけている今、思うこと〜「学校へ行きたくない」理由

学校

不登校。

この言葉は好きではありません。
悪いイメージばかりが先行して、不登校が悪いことだとされるから。

子供が不登校になると、世間は真っ先に親を責めます。

「どうして行かせないの?」
「甘やかしてるんじゃない?」
「家庭環境が悪いんじゃないの?」

正直に言うと、私もそんなふうに思っていました。
子供が学校のことで悩むようになるまでは。
当事者にならないと気持ちはわからないのかもしれない。
でも、だからこそこうして文字にして表現することは必要だと思います。

不登校の原因は家庭環境やいじめだけではない

私はまず、娘が学校のことで悩むようになってから、不登校にはいろんな原因があることにようやく気がつきました。

「先生の怒鳴り声が辛い」
「怒られているクラスメイトを見るのが辛い」
「いじめられている子をかばうのが疲れた」

これは娘が私に訴えてきたことの一部にすぎません。

娘は不登校にはなりませんでしたが、その寸前まで気が付いてあげられませんでした。
正確には、気付いていたのに何もしなかったというのが正解かもしれません。
私は現実から目を背けていたんだと思います。

ですが現在は楽しく、自分の好きなことができる高校を選んで進学しています。
不登校と聞くと家庭環境やいじめが原因と思われがちですが、そうではないこともまた多いのではないでしょうか。

そう気づかせてくれたのは、娘です。

そして今、息子が「学校へ行きたくない」と訴えています。
原因は学校やクラスメイト、先生。
学校は、色々なことを学ぶ場所です。
でも宿題の量や色々なところで、辛いことや我慢しなければならないことが増えています。
そしてそれを当たり前だ、忍耐力をつけろと。

「イヤなことも耐えなければ、強い子にはなれない。 乗り越えてこそ成長するものだ。」
多くの大人はこう思っています。

子供が壁を乗り越えることができれば、それは確かに成長なのかもしれません。
だた、無理に伸ばすことは成長と言えるのでしょうか。
精神的に疲弊しているのに「これができたから、これもできるね」と、ハードルをどんどん上げていって。
「ここまでおいで」と成長の距離をどんどん延ばそうとする。
ゴールはいつまでも見えてこない。

「ここまで来れたから、少し休もうか」ではなぜダメなの? 学校は楽しく学ぶ場所ではいけないの?

「我慢する」「辛さに耐える」ことは成長なのか

この間、息子の学習発表会がありました。
練習のときから聞いていたのは、「誰よりも上手で、すごく頑張っています」と。

先生方から受けるその期待感。
ものすごく重かった。
ほめられることは確かに自信につながる。
でもおかげで「じゃあこれもできるよね?」とやっぱりハードルをあげられていました。

子供がきちんとできているのは、相当頑張っているからです。
本当は辛くて仕方ないのを私はわかっています。
だからものすごく複雑な思いでした。

「頑張れているからとハードルを上げるのはやめてほしい」
「どこまで頑張れるかという判断は難しいかもしれないけど、問題がないときはものすごく頑張っていると考えてほしい」

と先生には伝えました。

学習発表会はなんとか無事に終えられたけど、なぜこんなに頑張らせてまでみんなと一緒のことをしなければならないのかと、疑問だけが残りました。
みんなで何かを成し遂げることで、学びと成長を得られるのかもしれない。

でも今の学校行事は、どこか感動ポルノのように私は感じてしまうのです。
子供が学校に対して辛さを感じているからこそかもしれませんが。
わが子の成長した姿を見られるのが親にとっては感動的でも、子供にとってはものすごく辛いことなのかもしれない。

そう思うと、どうしても疑問を感じてしまいます。
「辛さを乗り越えてこそ成長する」なんてよく言うけど、できれば辛いことはない方がいいに決まってて。
辛さを味わうことがなければ忍耐力がない人間になるとは私は思えなくて。
苦労や辛さを乗り越えるのが美徳になってはいけないと思うのです。

「学校へ行きたくない」と言った子供のこと

学習発表会が終わった翌週、息子は疲れ切っていました。
ひとつのヤマ場を越えたことの反動がやってきていて。

ある日職員室で待たなければならない場面で、息子はちょっとだらけてしまったそうで。
それを先生方に注意され。担任に怒られ。
泣きながら帰ってきました。

先生は怒ったつもりもなく、注意しただけだとは言っていたけど、子供にとってそれが決定的だったのだと思います。
それから「学校へ行きたくない」と。

確かに息子が悪いのかもしれません。
でも。
大きな行事をやりきったことにはそれだけのダメージがあるということで。
普段はできることもできなくなるかもしれない。

発達障害のある息子に限らず、燃え尽き症候群じゃないけど行事ごとに疲れ切ってしまう子は少なくないと思います。
口に出さないだけなんだと。耐えているだけなんだと。疲れ切っているんだと。


子供は大人が感じている以上に、大人の言動や行動を見ています。
大人にとってはちっぽけなことでも、子供にとっては一生心に残るかもしれない。
学校でも同じで、先生の言動や行動は子供にとって大きな影響を与えます。

今回先生に怒られたことは、深く心に残っているんだと思います。
そして、学校では辛いことが多いってことも。
「行きたくなかったら休んでいいんだよ」 そう息子には伝えたものの、もしこのまま学校へ行かなくなったらと思うと不安です。

子供の不登校を受け入れるのは、とても勇気がいることで。
周りからは偏った目で見られて、肩身の狭い思いをして。
辛い思いをしているのは子供だけではなくて、親だってそうで。

でも子供のためにある学校が子供にとって辛い場所になってしまうのなら、「行かない」という選択肢はあってもいい。
「行けない」になる前に「行かない」を選ぶことで、子供が安心して過ごせるのなら。
ただ「行けるのなら行ってほしい」と思うのも当然だと思うし。
私も含めて子供の不登校にいろんな思いを持って、悩みながら暮らしている親御さんはきっと多いだろうと思っています。

学校教育が変わらなければ、不登校の子供は増える一方

不登校の子供は増え続けています。
同じ年齢の子供という一つのくくりだけで、同じように指導して同じように型にはめる今の学校教育では、辛い子供は増える一方です。

時代も変わっているのだから、同じように学校教育も変えていくべきなのに。
子供は十人十色であるように学校教育も十人十色でなければ、辛くなる子供が増えるのも当たり前じゃないかな、と。

一定の指導方針が合う子供もいれば、合わない子供もいるのだから。
こうやって言うと、「先生の仕事を増やすな」という声が聞こえてきそうですが。
私は今の40人一斉教育は時代錯誤だと思っています。

大人数を一人で担任を持ち、指導しなければならない小学校の先生だって、部活動を受け持つ中学校の先生だって、本当に大変だと思います。
学校教育そのものを変えていかなければ、このままでは学校が子供も先生も辛い場所になってしまう。
いや、すでになっているのです。

スクールカウンセラーを学校に配置したところで、解決することなのでしょうか?
子供にちゃんと寄り添ってくれる先生は、いったいどのくらいいるのでしょうか。
子供のことを、先生のことを考えてくれる学校は、どのくらいあるのでしょうか。

自分の子供が不登校になりかけている今、深く深く考えています。

洗脳アイキャッチ

頭の中が「学校」に洗脳されていたのは、子供ではなく私だったのかもしれない。

2017年12月1日



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